日系ブラジル人による共同体 ユバ農場

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ブラジル・サンパウロから高速バスを乗り継いで約9時間、友人の友人が暮らしている、アリアンサにあるユバ農場に行ってきました。
ユバ農場の正式名はComunidade Yuba。日本からの移民の弓場勇さん中心となって築いた村で、最盛期は700家族が暮らしていたそうですが、現在は50人〜100人ぐらいの間とのこと。自分が知っている特徴を挙げるとこんな感じ。
1:共通言語は日本語。
2:暮らしている方もほぼ日系人なので、ここがブラジルではないかの様な不思議な感覚。
3:個人に給料が支払われるのはなく、共同体としての生活(どこか出掛ける際はお小遣いを頂くそう)
4:食事は決まった時間にみんなで一緒に食堂に集まって食べる。
5:ここに来た旅行者(バッグパッカー)の方は労働を提供することで食住を得る事が出来る。
滞在費用は基本的に0円。
6:現在の代表は4代目。

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バーラ・フンダを12時ぐらいに出発しバスで約9時間、さらにそこから車で20分程度、22時過ぎにユバ農場に到着。

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僕らは客間に泊めて頂いた。個室になっていて掃除も行き届いていて想像していた以上に快適だった。広くはないけれどサンパウロで初日に泊まったホテル・ニッケイパレスよりいい寝心地だった。

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1日の始まりは早い。まだ日の出前の午前6時からみんなで朝食。食事を済ませた後はそれぞれの仕事がスタート。
7時前ぐらいになると村の南東にある畑の向こうから太陽が昇ってくる。地平線から昇る太陽を見たのは初めてかもしれない。

滞在した3日間で体験した作業は、マンゴーの収穫と野菜や果物を出荷する際の積み込み作業と、マカダミアナッツの殻剥き。
野菜や果物の種類も豊富で、マンゴー、パイナップル、かぼちゃ、オクラ、とうもろこし、いんげん、レモンなど、ユバ農場では特定の野菜を栽培しているのではなく、季節と販売価格などを考慮して育てているそう。

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熟れ具合をみながら一つずつ摘んでいく。やや下の方に少し突起があるところが黄色く色づいていたら収穫時期とのこと。これがなかなか判断が難しい。

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収穫したてのマンゴーは甘く濃厚で瑞々しくこれまで食べたマンゴー(現地の人はマンガと言っていた)とは全く別物。

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地元の5〜6歳の子供も一緒になって木陰でのマカダミアナッツの殻剥き。すでにナイフを扱える生活力の高さに驚いた。
販売用ではなく、ここで食べるものなので何となくでOK。

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ナイフを使って一つ一つ手作業で殻を割る。すると中にもう一層さらに堅い殻があるのでそれをくるみ割のような感覚で割ると中からマカダミアナッツがようやく出てくる。食べるためにはこんなに大変な作業があるとは知らなかった。さらには生で食べられることも初めて知った。

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午前11時になると昼食の合図が角笛の音が響く。みんな一つの食堂に集まって昼食。食事はバイキング方式になっていて好きなものを取って食べる。

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味付けのベースは和食だけど食材が少しずつ違うので完全な和食でもない感じ。真ん中黄色い花びらはオクラの花。瑞々しくほのかな甘みがあった。ご飯を食べた後は基本的に13時まで休憩時間。昼寝したり椅子で歓談したりそれぞれに寛いでいた。

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客間の近くに建っていた資料館。鳥の鳴き声と風の音、ピアノを練習する音以外ほとんど何も聞こえない静かな庭。ただ風景を眺める以外、何もしない時間が心地よかった。

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あまった時間でコミュニティ内を散策してみる。食堂裏の洗濯場と洗濯干し場。この向かいが共同浴場になっていて夕方4時ぐらいから入ることができた。

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調理場。男性が農作業で女性が洗濯や調理担当という感じ。

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こちらはマンゴージャムを作っているところ。混ぜているのは旅行者の方。このあと瓶ずめして販売される。マンゴーの他にも梅やプラムのジャムや、ピクルスなどの加工品の販売も行っていた。

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開放感のある平家。ほとんどの家が玄関は開けっぱなし。ここから隣村まで車で5分〜10分程度の距離でその間信号すらない独立したエリアならでは。友人は自分で家を建てている途中だった。

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さらには飼っている馬にも少しだけ乗せていただいた。

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犬や猫など小動物を触るのも苦手なのでとても緊張した。乗っている人間の緊張感が馬にも伝わってしまうそう。

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宿泊最終日の夜は同じ第一アリアンサ地区の隣町にある数少ないお店で一杯。メニューは缶ビールとジュースとハンバーガーのみ。この第一アリアンサ地区も日本からの移民の方々が拓いた場所ながらも、現在は様々な人種の方が暮らしていてユバほど日本語は残っていないそう。

賛否両論あるとは思うけれど、ユバ農場では言葉が残ることで文化も継承されるという考えのもと日本語を継承して来たのは結果的に良かったのかもしれない。
共同体の中でよく働く人もいれば、あまり働かない人もいて多少不満がある人もいるとは言っていたけれど、3日間滞在して感じたのは、みんな仕事のために働いているのではなく、ここで暮らすための生活が仕事になっていて、持続的で安定した無理がない暮らしを楽しんでいるようだった。年金や福祉、家や土地、保育の問題などコミュニティ内である程度完結できているのかもしれない。
日本にも住んで居たことがある10代の子が日本よりもここが良いという理由がわかる気がした。